修学旅行先で待ち合わせ

『朝露通信』で、山梨から鎌倉に引っ越したけど、いとこたちが修学旅行に来るのに合わせて大仏前で待ち合わせた、という話、牧歌的だなぁと思った。そんなのいいんだ!と思った。

という話を母にしたら、あら、うちもそういうのあったよ、という。祖父が鹿児島で教員をしていて、修学旅行で大阪に来るというので、両親は東京から大阪まで会いに行ったという。鹿児島までは遠いからお互い真ん中まで行って会いましょうという、それこそ牧歌的な話。教員、というのがさらに。

修学旅行先に知り合いがいるなんてことあまりないよな普通は、と思った。子どもなら特にね。でも、それで思い出した。高校時代、四国に修学旅行に行ったときに、友だちと会う場合はホテルのロビーで会うようにと言われ、友だちと会う? そんな知り合いなんていないよねぇ、なんて思っていたら、当時一番の友だちが同年代の人と会っていてびっくりした。四国に友だちなんているんだ! 札幌出身の子なのに人はわからないものだ、と思った。高校までの交友関係でいくと、他県に友だちどころ知り合いなんているはずなかった。あ、そうか、親戚というのならいるか。けど子どもだったから、友だちって思っちゃったんだろう。友だちというのはつまり家が近い子、なわけだから、へんだなと思ったんだろう。

明日書こうと思っていたけど今書こう。
あかちゃんのころひつじのぬいぐるみをかわいがっていた。「メリーさんのひつじ」からメリーちゃんと名づけて。メリーさんのひつじなんだから、名前がメリーちゃんなのは考えてみればおかしいけど。けどその実、メリーちゃんというのは、やはりひつじじゃないかなあ、メリノとなんか関係がありそうな。それにめぇめぇなくからメリーちゃんなんじゃないかと思う。

それはそれとして、毛皮がはがれてつるつる坊主になっちゃったので、ずいぶんとっておいたけどさすがにと思って写真を撮って捨ててしまった。キューピーちゃんに毛皮をかぶせて作ったようなお人形だった。

たまに思い出す、なんで捨てちゃったんだろうって。
坊主頭でも捨てたらいけなかったのになって。
ああいうものは。
もう遊ばなくたって、とっておいたほうがいいものだったのに。
悲しくなる。

僕は大事にしているものはずうっと取っておく、捨てはしない、でもどこかに行った、僕は何でもなくしてしまう。

なんだかへんな文章だけど、なんだかいい文章だ。

☆今日のアナログハイパーリンクな読書
保坂和志『朝露通信』→トークイベント保坂和志×磯崎憲一郎
保坂和志の言う「小島・山下」方式と「保坂・磯崎」方式の両方ともトークを聞けてうれしい。