保坂病 保坂さんの言うとおり

やばい、本当にビョウキ。ホサカ病。

小説というのは社会的文脈で解釈したり精神分析的な図式に置き直したりする以前の、読んでいる最中に感じる、居ても立ってもいられない気持ちを読者の中に喚び起こす何かのことだ。

制作のことを考える。制作に対する姿勢、心持ち、テーマ、訴えたいこと? botを読むと、ハッとする。そうだ、そうだ、そんなのじゃない、保坂さんの言うとおり。そうなんだよ、わたしのやりたいことは、そのとおりなんだよ。でも、どうやったらいいんだろう? きっとホサカさんは言うだろう、「テクニックじゃないんだよね」。こうじゃなくちゃ表現できないってことなんだよね。うん、それは自分で見つけないとね。

危機に直面することが生き甲斐であり、リアリティを感じることだと思うんです。「よし、こうしよう」と思う以前の「何とかしなきゃ、何とかしなきゃ。大変だ、大変だ」と言っている瞬間がいちばん生き生きするんじゃないかと思うんです。そのときがいちばん生き甲斐を感じているんじゃないか。

そうだ、そうだったんだ、あのときわたしが感じたのは!

現代を生きる私たちは、本来もっと自由で勝手気ままであるはずの動きを何かによって拘束されて奪われている。

そうか、わたしの作品はその片鱗があるんだ。それを殺しちゃいけないんだ。拘束がないのがよかったのに、自分で拘束してないか。

制作に悩むとbotを読む。いつもホッとするしハッとする。

botには自分の読んだ本じゃないのも入っているので、ああ、あれだ、と思い出すという楽しみはほとんどなく、投げ込まれたその文章のみで味わう。抜粋なので一つの編集だとも思うけど、保坂さんの場合は、どこから読んでもいいんだから、いつも面白いんだろうなぁ。

来月の中央公論本社のトークイベントも行く。今から本当に楽しみ。この先に約束があること。幸せなこと。くすくすくす・・・。まだ生きていけると思う。

☆今日のアナログハイパーリンクな読書
保坂和志bot