制作を続けることを考えているうちに敗北について思いをめぐらす。敗北はつらい。でも、絶対に在ることだと思う。そして沢木耕太郎を思う。ずっと敗北を描き続けている。
こんなことくだらないから誰も言わないけど、沢木耕太郎と鷹野隆大は顔が似ている。二人ともとてもかっこいい。きっと声も似ているんじゃないだろうか。作品もとってもかっこいい。似ていると私は思う。中野翠がたしか顔と文学作品は相関関係があるという「顔文一致説」を書いていた、と久世光彦が言っていた。その文脈で言うと似た顔の人は似た作風なのかどうか、少なくともこの二人の作品は通底するものがあると思う。硬質な文体と泣きたくなるほどやわらかいまなざし、「見る」行為と見ている自分。
ところで先日、高松次郎についていろいろなひとが言っている、という話を書いたが、その後、鷹野隆大も “写真の写真”と写真という作品を作っているというのを知った。
☆今日のアナログハイパーリンクな読書
沢木耕太郎『流星ひとつ』・・・鷹野隆大『おれと』←高松次郎←赤瀬川原平・倉俣史郎・小沢剛