『肌ざわり』を読んでいると、子どものころのことを思い出す。虫が目に入った、そうだ、そんなことあった、そのときの感触をありありと思い出す。いつも自転車だった。目をとても意識した。目の中で虫が動いて、目が虫に入った、まさにそういう感じだ。祖母が舌ベロで目の中を舐めてゴミをとってくれたあの感触。やだけど、もう一回やってほしい。初めて一人で美容院に行ったときのこと、そして今も美容院で感じる違和感。本来、脳ミソはじっとしていればいいのに、口紅まで塗られちゃう居心地の悪さ。小さい頃、従姉妹の家に泊まって、ドライヤーをあててもらっている従姉妹と叔母。髪を結うのを「カンカンやろう」という言い回し。叔母のブラシのかけかたは痛かったし、ゴムの位置もママと違った。三面鏡がおもしろくてずっと見ていたこと。いただきますのとき他の人は何て言うのか。うちのママは一緒に「いただきます」だけど、夫の家はお互いに「はぁい」だそうだ。へんなの。
うちはいろいろ他の家と違うなぁと思って、だから、他の人のことがとっても気になった。けど、とらえ方は個人だから、他の子がピンクのピアニカを持っていたとき私のは紺色のメロディオンでちょっとホンモノっぽかったのだけど、私はみんなと違って恥ずかしかったけど、妹は自慢だったと言う。今考えると、どっちもおんなじだよ!という些細なことだけど、こどものころは、自分のやり方しか知らないから、それと違うってことがすっごく気になることだったんだなと思う。なんてことを、このあいだ音楽のイベントにピアニカで参加して思い出した。ピアニカとメロディオン、実はメーカーが違うから単なる商品名の違いなのだけど、うちのはピアニカじゃなくてメロディオン、と強く思っていた。
小説を読みながらこうやっていろんなことを思い出して、そういうのは楽しいことだと思う。だから、小説があまり進まなかったりする。
「今度のはさァ、こういうくよくよした感じのことがずうっとつづいていくの?」私もずっとくよくよしているんだなと思う。
うん、この感じは、保坂さんと似ていると思う。だれもそんなこと言わないだろうけど。だいたい、今、尾辻克彦っていうのは文学ではどういう位置にあるんだろう。
☆今日のアナログハイパーリンクな読書
赤瀬川原平『全面自供!』→尾辻克彦『肌ざわり』→保坂和志