蜥蜴のしっぽと子どものころ信じていた話

尾辻克彦の『肌ざわり』で冒頭、蜥蜴がチョロリと庭を這うという描写がある。ちょうど、うちのアトリエでも蜥蜴が歩いていたので、オッと思う。よくハーブの葉の下で日をよけているみたいだ。こっちが息をひそめて見ていると、庭の真ん中で全然動かない。でも少しでも音を感じるとささーっと消えてしまう。逃げた、と思っても、尻尾が見えていたりして、尻隠さずとはこのことという具合のときもある。また来た、と思ったら、今度は、もう一回り小さい蜥蜴で、こっちはしっぽがない。なんか、かえるの小さいのみたいだ。ほんとに蜥蜴のしっぽ切りってあるんだな。そっちは敏感みたいで、すぐいなくなった。と思ったら、今度は2匹で縦隊になって、庭を横切っていった。友達になったのかな、と思った。別にしっぽがなくても無様ではなかったけど。

父と娘の会話で、父が「えへっ」というのが、ちょっとギョッとしたが、なんかかわいい。今江祥智のあかりちゃんとの会話みたいだ。

『優柔不断術』で子どものころ、大人は本当は皮をかぶっていて、子どもが見ていないときにその皮を脱いだりしているんだと思っていたという話が出てくる。あ、これは、『ぼのぼの』と同じだなと思う。あっちは、背中にチャックがついているんだった。おとうさんは本当はおとうさんじゃなくて、別の生き物なんだ、どうしよう、とかぼのぼのは思う。そのまんまの話だ。

私はそういうことは思ったことなかったが、時計の針は人間が見ていないときにすごいいきおいで動くんだ、と友達のお兄ちゃんが話していて、さもありなん、と思っていたことはあった。お兄ちゃんといったって一つ上だから、同じようなものだ。そう思って見ると、たしかに針はちっとも動かない。しばらくにらんでいたけど、やっぱり動かなかった。見ないふりして急に振り向いたりしても止まっているから、時計はワナにもひっかからないんだと思った。夜動くと思うとちょっと恐いなと思ったが、見てみたいとも思った。

☆今日のアナログハイパーリンクな読書
尾辻克彦『肌ざわり』→今江祥智『優しさごっこ』
赤瀬川原平『優柔不断術』→いがらしみきお『ぼのぼの』